アカゲラが思い出させてくれるもの
![アカゲラ](https://i0.wp.com/norikurashi.com/wp-content/uploads/2023/05/2021-06-02-12.41.48.jpg?resize=1000%2C667)
春になり、鳥の声が賑やかです。
家の庭には、古い桜の木があるのですが、
日中は色んな鳥がこの桜の木を訪れてくれます。
ヒヨドリ、ヤマガラ、ゴジュウカラにアカゲラ。
![](https://i0.wp.com/norikurashi.com/wp-content/uploads/2023/05/IMG_8275.jpg?resize=1024%2C669)
少しずつ異なる彼らの鳴き声に耳をすませては、
あの鳥かな?と想像し、
仕事の合間に窓から眺めては
図鑑で確かめるのが
ここでの暮らしの楽しみの一つです。
2年前のこと。
アカゲラがこの木にコツコツ穴をあけて巣をつくり、
そこで、数羽の雛を育てていました。
ピーピー鳴いて親鳥を求める雛に応じて、
親鳥がせわしなく巣と餌場を行き来する姿を
当時よく眺めていたのですが……。
![](https://i0.wp.com/norikurashi.com/wp-content/uploads/2023/05/2021-06-02-11.57.40-1.jpg?resize=1000%2C667)
それはもう、とにかく健気で一生懸命!
同じく子育てする身として応援したくなり、
雛の巣立ちまで目が離せなくなりました。
![](https://i0.wp.com/norikurashi.com/wp-content/uploads/2023/05/2021-06-02-13.52.23.jpg?resize=1000%2C667)
雛たちは姿を見せないものの
巣穴の中から聞こえてくる声は日に日に大きくなり
巣立ちはいつなのかなーと気にしていたのもつかの間のこと。
気づいた時には、
騒がしいほどに鳴いていた雛の声が聞こえなくなり、
無事に巣立った(であろう)ことを嬉しく思いつつも
あっけないお別れに寂しい気持ちになったものです。
あの雛たちはどうしているかな。
親鳥はどうしているだろう。
あのアカゲラ親子のことをたまに思い出し、
月日が経っていきました。
「元気でさえいてくれれば。」
あのアカゲラ親子を思い出す度、
ふとそんな思いが胸にわきあがってくるような気がしました。
採餌の時も巣立ちの時もその後も、
きっと親鳥は、そう願い続けていたのだろうな……
とも想像します。
当時巣立った雛たちが、
その後無事に成鳥になったのかどうか。
それは分かりませんが、
今年もこの桜の木に、またアカゲラが訪れてくれています。
![](https://i0.wp.com/norikurashi.com/wp-content/uploads/2023/05/IMG_8466.jpg?resize=1018%2C1024)
もしかしたら、今日訪れてくれたアカゲラは、
あの時の雛の一羽かもしれないし、
ここで再び子育てをしてくれたら嬉しいな
とも思うのですが……。
それよりなにより、
アカゲラの姿を見つける度、
元気でいてくれれば、それでいい。
ごはんをおいしく食べてくれれば、それでいい。
好きな時に笑ったり歌ったりしてくれれば、それでいい。
そんなシンプルな我が子への願いが、
くっきりとそこに存在として現れてくれるような気がするのです。
なんだか、私自身にもその願いが注がれていたことを
体の奥の方で記憶しているのを感じるし
我が子にもその願いをつないでいきたいなぁと、
その願いのつながりを感じてじんわりと温かい心持ちになる。
だから彼らの姿を見る度、
「ここに来てくれてありがとう。」
と言いたくなるのかもしれません。
わが身を振り返ると、子どもに対して、
「もっとああしてくれたら。もっとこうなったら。」
と、ついつい過度に期待を重ねてしまいがちだけれど……。
彼らの、コツコツ木をたたく音が聞こえる度、
その甲高い鳴き声が聞こえる度、
いそいそ動き回る姿を見る度、
そうだったそうだった!と思い出したいなぁと思います(笑)