アカゲラが思い出させてくれるもの

アカゲラ

春になり、鳥の声が賑やかです。
家の庭には、古い桜の木があるのですが、
日中は色んな鳥がこの桜の木を訪れてくれます。
ヒヨドリ、ヤマガラ、ゴジュウカラにアカゲラ。

少しずつ異なる彼らの鳴き声に耳をすませては、
あの鳥かな?と想像し、
仕事の合間に窓から眺めては
図鑑で確かめるのが
ここでの暮らしの楽しみの一つです。

2年前のこと。
アカゲラがこの木にコツコツ穴をあけて巣をつくり、
そこで、数羽の雛を育てていました。
ピーピー鳴いて親鳥を求める雛に応じて、
親鳥がせわしなく巣と餌場を行き来する姿を
当時よく眺めていたのですが……。

それはもう、とにかく健気で一生懸命!
同じく子育てする身として応援したくなり、
雛の巣立ちまで目が離せなくなりました。

雛たちは姿を見せないものの
巣穴の中から聞こえてくる声は日に日に大きくなり
巣立ちはいつなのかなーと気にしていたのもつかの間のこと。

気づいた時には、
騒がしいほどに鳴いていた雛の声が聞こえなくなり、
無事に巣立った(であろう)ことを嬉しく思いつつも
あっけないお別れに寂しい気持ちになったものです。

あの雛たちはどうしているかな。
親鳥はどうしているだろう。
あのアカゲラ親子のことをたまに思い出し、
月日が経っていきました。

「元気でさえいてくれれば。」

あのアカゲラ親子を思い出す度、
ふとそんな思いが胸にわきあがってくるような気がしました。
採餌の時も巣立ちの時もその後も、
きっと親鳥は、そう願い続けていたのだろうな……
とも想像します。

当時巣立った雛たちが、
その後無事に成鳥になったのかどうか。
それは分かりませんが、
今年もこの桜の木に、またアカゲラが訪れてくれています。


もしかしたら、今日訪れてくれたアカゲラは、
あの時の雛の一羽かもしれないし、
ここで再び子育てをしてくれたら嬉しいな
とも思うのですが……。

それよりなにより、
アカゲラの姿を見つける度、

元気でいてくれれば、それでいい。
ごはんをおいしく食べてくれれば、それでいい。
好きな時に笑ったり歌ったりしてくれれば、それでいい。

そんなシンプルな我が子への願いが、
くっきりとそこに存在として現れてくれるような気がするのです。
なんだか、私自身にもその願いが注がれていたことを
体の奥の方で記憶しているのを感じるし
我が子にもその願いをつないでいきたいなぁと、
その願いのつながりを感じてじんわりと温かい心持ちになる。

だから彼らの姿を見る度、
「ここに来てくれてありがとう。」
と言いたくなるのかもしれません。

わが身を振り返ると、子どもに対して、
「もっとああしてくれたら。もっとこうなったら。」
と、ついつい過度に期待を重ねてしまいがちだけれど……。

彼らの、コツコツ木をたたく音が聞こえる度、
その甲高い鳴き声が聞こえる度、
いそいそ動き回る姿を見る度、
そうだったそうだった!と思い出したいなぁと思います(笑)