お山と共に刻まれる心象風景
夏があっという間に過ぎていきました。
例年だと、お盆を過ぎるともうすっかり秋になると言われる乗鞍高原ですが、
今年はお盆を過ぎてもまだまだ暑い日が続き、
9月に入っても日中は暑いなぁと感じる日も多々。
下旬になってようやく涼しくなり、虫の音が心地よい今日この頃です。
矢のように過ぎて行った夏ですが、
今年の夏は、前々から行きたいなぁ
と思っていたお山に出かけることができました。
いつか行きたい!と言っているだけでは、
結局いつになっても行きたいところへは全然いけないもので、
先にえいやっと計画を立てて諸々予約してしまえばもう行くしかない!
というわけで、身体の調子も徐々に整えてその日を迎え、
息子と二人、無事に下山しました。
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今日はそんな息子との二人登山について。
8月の初旬、
中2の息子と燕岳・常念岳へと2泊3日の縦走登山をしてきた時のこと。
体力もついて私とはペースが全然違うのと、
心理的にも彼なりのちょうどよい距離を母との間で保ちたい様子の息子。
そんなわけなので、母子二人で出かけたものの、
私は息子の背中をずっと先に追いかけて、ほぼ単独登山なのでした。
とはいえ、それぞれのペースで歩きつつも、
たどる道は同じなので、
休憩ポイントで合流しては、道中の事を話したり、
たまに小競り合いしてみたり、ちょっとだけ気に掛け合ったり。
その距離感がなかなか面白い山行でした。
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一番印象に残っているのは、
急登を登った先に現れる凛々しい燕岳の姿と、常念へと続く美しい稜線。
2日目の燕山荘を出発して常念へと向かうその稜線があまりにも美しく、
進んで行くとずんずん近づいてくる槍ヶ岳を仰ぎ見ては、
その雄々しさに度々しびれつつ
とにかく歩くのが楽しく、嬉しさで心がいっぱいでした。
でも、進んでしまったら終わりが近づくため、
なんだか歩くのがもったいない!と思う矛盾に苛まれたりも。
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息子との間では、交わす言葉は少なくても
「いやー。最高だねー。」
と同じ景色を見て思いを共有するという瞬間が多々ありました。
「最高」って、言葉にすると途端にうすっぺらくなってしまって、
その「最高」の中に、どれだけの心象風景が刻まれているかって表面的にはわからない。
でも、確実に私たちの中にはあのとき見た景色や音、光の加減、温度、風の吹き抜ける感覚、
登山者とのあたたかな交流が身体感覚と共に刻まれているはずで。
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この「最高」の感覚は様々な経験を通して更新されていくのだろうな…
そしてまた、日々私たちの表現していくものに自然とあらわれていくのだとしたら
まだまだ未知のもの美しいもの心震えるものに触れて、
「最高」に含まれる深みを増していけたらなと思うのでした。
お山に登る度に、何かが更新されているように常々思っていたのですが、
その何かというのは、
きっとこうして感覚のボキャブラリーが
自分達の中に増え更新されていくことなのかもしれません。
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更に、この経験を親子で共有できるのって、
特別な共通言語というか身体感覚を一緒に育んでもらっているようで、
「何があっても大丈夫!」という安心感をも育んでもらっている気がします。
「あの場所」での「あの瞬間」。
感じているものはそれぞれでも、体験を共にしたことで得られる
地に足の着いたつながりとでもいいましょうか。
北アルプスに気軽にアクセスできるのりくらに住んで見つけた
ありがたい気づきのひとつです。
さて、お山はそろそろ秋の彩りが徐々に増していく頃合い。
どんな景色を見られるだろう。
そしてどんな感覚のボキャブラリーを増やすことができるだろう。
これまた楽しみです。