今日はフカフカの新雪に覆われた乗鞍。
登校の見送り時、我先にとパウダーを踏みしめるかけっこ競争を息子としまして、朝からゼーハー息切れを(笑)
とにかく、このフカフカ雪の感触は、何度味わっても気持ちがいいものです。
さて、今日インスタに投稿をしまして、その後ツラツラと思いを馳せていたら、漬物を寝かせて味わうことが、人との関係にも通じるのではないかなぁと思い、書き始めてみました。
きっかけは、このヤマゴボウの漬物についての投稿。
さて、
漬物を漬ける手順は、大雑把に言うと、
素材を下ごしらえして
調味料やらを整えて
容器に合わせて
漬けこむ
あとは塩分や発酵調味料の力に委ねて、漬け上がるのを待つ
そんなわけですよね。
ふと、人との関係もまた、これに似ているなぁ、と思ったわけです。
なぜならば、人との関係においては、
なにげないコミュニケーションから始まって
お互いの背景や特性を知り合って
経験・体験を共にして
時間をかけて、コミュニティ(地域社会・家庭でも)の中で共に生きようとし
それぞれの良いところも悪いところも味わいながら、関係を深めていく
そんな過程を経て、人と人は関係を結び、共に生きているように思うから。
漬物と人。
なんだか、似ているなぁと思うのは私だけでしょうか?
漬物は「委ねて待つ」時間があるからこそ、美味しくて味わい深いものになるけれど、
もし漬物と人とに通じる部分があるとするならば、
人との関係において「委ねて待つ」に相当すると思われる、
「それぞれの良いところも悪いところも味わいながら関係を深めていく」というその時間が、やはりすごくすごく大切だなぁと思うわけです。
ともすれば、人は他人の良いところが見えると、妬みや嫉妬に似た気持ちが湧き出てきてしまったり、
逆に「私なんて、どうせ」とか言って、いじけて自己否定に入ってしまったり。
一方で、悪いところが見えてしまうと、すぐに
「この人のこういう部分は好きじゃない。私とは合わない。ハイさようなら。」となってしまったり、
はたまた、言葉やら態度やらで色んな攻撃をしかけてみたり(笑)とか、なりがちなのではないかなぁと。
(あ、これは過去の自分への自戒も込めてね…(笑))
そう思うと、良いところも悪いところもひっくるめて、味わいに変えてしまうその漬物の懐の深さってば!
これは見習いたいものです。
・素材を下ごしらえしている(=何気ないコミュニケーション)状態なのか、
・調味料やらを整えている(=お互いの背景や特性を知り合っている)状態なのか、
・容器に合わせている(=経験・体験を共にしている)状態なのか、
・漬けこむ(=コミュニティ(地域社会・家庭でも)の中で共に生きていこうとする)状態なのか、
・塩分や発酵調味料の力に委ねて、漬け上がるのを待つ(=それぞれの良いところも悪いところも味わいながら、関係を深めていく)状態なのか、
こんなことを意識するだけでも、もしかするとその人との関係を深める過程が面白くなるし、その先にある、その人との未来が味わい深くなるんでないかなーっと。
それにしても、委ねること。これって、漬物であればいざ知らず、人との関係では、簡単なようで難しい。
お互いの望むものが、全く異なるものならば、関係を深めたり、その関係を続けてていくことは難しいのかもしれないけれど、、、
でも同じ人間だもの。望みが重なる部分だって、どこかにあるのでは。
とすれば、その重なる部分を糸口にして、その人との未来を手繰り寄せていく……そんな未来の作り方もあるのかもしれないなと。
だいぶ抽象的になってきましたが、先に書いた段階の先に何が見えて来るのかを考えてみると、、、
漬物は「美味しく味わうこと」、そしてまた口にすることで「命を育むこと」が最終段階・最終目的地ではないかと。
一方で、人と人とが関係を結ぶ最終段階は、きっと「それぞれの才能を活かしあうこと」、そんな世界を体感する中で当事者や未来の「命を育むこと」なんじゃないかなー、と思ったりしました。
つながったーーー。
と、まとまったところで(笑)、奥深い漬物の世界に足を踏み入れてみて気づいたことを書き綴ってみるのを
終わりにします。
でも探求は続けてみます。漬物も。人も。
よろしければ、ご一緒に(笑)
P.S
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